モノの本質を知ること悩みは消える

モノの本質を知ると悩みは消える

 
はじめに

哲学の祖といわれるアリストテレスは、自然科学を含めたあらゆる科学の元を作ったともいわれています。

そんな中でも、今でも十分に役に立つ格言がたくさん残っています。特にかれの思想は、西欧哲学や科学に留まらず学問の祖ともいわれています。

トマス・アクナスによっても人々は影響を受けていると言われています。

なので、彼の考えは今でも十分に役立つだけでなく、カントによって引き継がれ憲法の中にも息づいているのです。

 

最高善(幸福)とは何か

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アリストテレスは人間です。人生の目的を最高に善(善)くしています。人生の目標についてフォローしています。

幸福が徳に基づく活動であるとすれば、その活動とは、もっともすぐれた徳に基づくものであると考えるが、理に適っている。しかるに、最もすぐれた徳とは、最善のものの徳であろう。

アリストテレス=朴2002:568

私の師は、プラトンであり、ソクラテスです。プラトンによってつくられたアカデメイア(学園)に、アリストテレスは17歳の時に入学しています。

そこで彼は、「善く生きること」を学んだので、です。あらゆる学問は「善く生きること」であると考えました。

これが、アカデメイアの原点であり、学問の原点でもあるのです。何のために勉強するのかは、「魂を磨くため」だったのです。

その突き詰めた先が「最高善」だということ。つまり、幸福になるためには「より善く生きる」ということが必要になります。

魂をできるだけ善くする

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「魂をできるだけ善くすること」とは彼の師、ソクラテスのことですよ。

「大切なことは、生きることで、善く生きることである」と言っています。

彼にとっては、善の追求あるいは正義の追求の実現が人生の意味なのです。

そのため、自分自身に嘘や偽りを言ってはいけないのです。獄中で死を迎えたのもそのためだったのです。

アリストテレスは、師から受け継いだ、善への深い願望があったことは間違いありません。

人間もまた、知性に基づく生活が最も優れており、かつ最も快いのである。個人的に知性が人間自身に他ならないとすれば。かくして知性に基づく生活こそ、まさに最も幸福な生活なのである。

アリストテレス=朴2002:568

知性に基づく生活こそもっとも幸福な生活を送っています。それが「観想の生活」と呼ばれるものです。

知性を磨く、あるいは譲渡することは、善を磨く、あるいは善を譲渡すると同等だ。

モノの本質をつかむ

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アーティストテレスのすごさは、モノの本質をつかんだことです。モノは質料(material)と形相(form)になっているといいます。

簡単に言うと英語だとわかりやすくなります。マテリアルは材料です。フォームは形です。

なので、モノの本質は、フォームとマテリアルからなっています。たとえば、机の上にあるハサミは何かを切るために形(フォーム)づくられ、その材質(マテリアル)は鉄です。

それが発展して、存在するものはすべて本質(フォーム)と質料(マテリアル)になっていることができます。

ある(または存在)というのに多くの意味がある、そのことはさきに各々の概念の語義をあげた個所でユーザーの区別したとおりである。すなわちそれは、あるいはる意味では、ものの何であるかを、またはこれなる個物憎し、他の意味では、それ自体のどのようにあるか(性質として存在)を、あるいはどれほどあるか(量として存在)を、あるいはその他のように述語される事柄のそれぞれを意味する。

アリストテレス=山口1959:226

人間に存在する意味は?

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そこでアリストテレスはhumansに存在する意味を問うのです。結論から言うと「善く生きるため」です。

世界に存在するすべてのモノは、何であるかという本質によって存在していることは先に述べたとおりです。

人間はモノ(材質)で出来ていますが、その本質はモノという何かのためだけに存在しているわけではありません。

最高善(幸福)を実現するために存在しているとアリストテレスはいいます。

そのためには、「より善く生きる」ために存在しているという、ソクラテスの思想が息づいているのです。

なぜより善く生きなければならないのでしょう。その根拠として、不完全な存在が挙げられます。

では、完全な存在とは、失われたもの。すべて備わったもの、それが神という、この世に存在しない存在者が憎いのです。

神に一歩でも近づくようにより善く生きなければならないのです。アリストテレスはそう植えられているのです。

まとめ

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人間は何のために存在しているのでしょう。アリステレスに言わせると、「より善く生きる」ためということになります。

しかし、現実は不完全な存在である人間は、過ちを繰り返すのです。

そこで神は、「法と正義」の女神テーミスをこの世に送ります。テーミスは「法と正義」を司り、世界の秩序を守る女神です。

彼女は甲冑を身にまとい、左手の天秤を高く掲げ、右手には鋭い剣を持ち、明らかに神のお告げを伝える役割を担っていたのです。

世界中の裁判所には必ずテーミスの像が、玄関のテラスなどに飾られています。

テーミスが左に掲げる天秤は、事の善悪をはかる「裁きの天秤」と言われています。

私たちより「善く生きるため」この世に送られたといっても過言ではないでしょう。

なので、不完全な人間はいつも「やましさの意識」を持って生きているのです。

その意味は、自分自身を確立するという存在欲求があり、生きるために自己実現をしなければならないのです。

なので、いつも負の目を感じて生きているわけです。そのためには「善く生きる」ことで、徳を積む必要があります。

幸福は、その徳の積んだ分だけに出会う、神の恵みです。悪をも善をもなす人間に課せられた宿命が」「善く生きる」ことです。

幸福に関する言葉を引用します。よかったらご覧ください。